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父の死 〜自宅での看取りとそれに付随した徒然②

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父の畑にて。札幌の郊外にあった。記憶の中の永遠の畑になってしまった。

癌の発覚から入院まで

写真は、腹の表面にぼこぼこと浮き出ていた塊が癌であったことがわかり
再びT病院で診察を受けた時の結果について父がメモを取ったものである。

PET検査を受けて全身状態を見るのだと言われたのだろう。
8月27日に検査を受けている。

おそらく再発だろう、と言うことでこの週末に
父の畑の芋を子供達と一緒に掘りに行こうと言っていたが
雨で断念した。

行っておけばよかった。
もう2度と父と畑に行けなくなるとは本当に想像もしていなかった。

転移しているとは言っても、私が病院で勤務していた頃とは
がん治療は大きく変わっていたし、どちらかというと
これから始まるだろう抗がん剤治療の副作用を心配しているような感じで
来年もきっと同じようにまだ畑に立っている父をまだ私は想像していた。

翌週の9月2日(水曜日)、父は一人でPET検査を受けに行った。

終わりの始まり

PET検査を受けた週末、私はママ友達とキャンプへ。
土曜日(9/5)、だらだら飲んでいるところに母から連絡が入る。

『ジジが異常に頭を痛がってる。どうしよう』

とのこと。
痛み止めを内服させて様子を見たらと伝え、その時は痛みは一旦収まるが
翌日(9/6日曜)夕方から再度頭痛。
ロキソニンが切れると痛み出すのだという。

近くの脳外科に行くべきか、脳に転移なんじゃないか、元々のT病院に
行くべきか。
木曜日にT病院は再受診の予定だったのでそれまで待つべきか。

そんなやりとりを母と繰り返した土曜日から月曜日だったが、
9/7(月曜)の夜に痛みが酷すぎて近くの脳外科に救急車で受診することに。


9/7、月曜の夜のやりとり。消してあるのは脳外科の名前。
このあとすぐ救急車で搬送された。

脳外科でCT撮影。
特に脳に異常はないと言われ、アセリオ(アセトアミノフェン1000mg)の点滴で
頭痛はおさまったということで帰宅。

脳外科のDrからは、時々こうやって特に脳に異常がなくても
ものすごく頭痛のある方もいるんですよ、と言われたそうだ。

アセトアミノフェンの錠剤と座薬をもらってきた。
我が家にもアセトアミノフェンは少し在庫があったので、
父に点滴と同じ成分のものだよ、と伝えて定期的に内服させたが
効果がある時とない時の差が激しく、家族で困惑する。

脳に異常はないらしい、となると肩こりだとか
精神的なものなのか。
体を動かしたらどうか。

マッサージを施したり、散歩に行ったり。
とにかく脳には異常がないと脳外科医がいうのだ。
服薬以外、あとは何ができるのか。わからなかった。

母から、
「どうも痴呆もあるんじゃないか」
「最近リモコンが使えなかったり、スマホを開けなかったりする」
と言われる。

夫に相談すると、がんの患者さんだし急にステージ4だとか
抗がん剤だとかで情報量も多いし、精神的な負担がかかってるのもあるのかな?とのこと。

不安を訴える母に、
つい最近までまともに会話もしていた父がそんなに急に痴呆って
進むものかな?ぐらいのコメントしかできない。

相変わらずつかみどころのない、ただ不安が胸を色濃く覆いずしりとした感覚のみが残る会話だった。

9/8、火曜日

再びひどい頭痛。
脳外科に一度行っているので、今回は元々のT病院の救急を受診。
救急車で搬送された。布で包まれるようなタンカで運ばれていく父に
不安を覚えながら仕事へ。

仕事が終わってからT病院に向かい結果(前日に引き続き再びCTを撮った)を聞く。
もしかしたらこのまま入院かもしれないし、と近くで働く夫も立ち合いに来てくれた。

『脳に異常はありません』
『点滴(アセリオ、脳外科で受けたのと同じもの)で落ち着いているので同じお薬だします』

このまま入院になるのではと構えていたが、肩透かしを食ったような気持ちで帰宅した。
夜、首から肩がガチガチで頭痛になるのかもしれないから少しほぐしたらどうかと
マッサージや、首周りのストレッチを一緒にした。

仙骨のあたりが少し前から痛むんだけれど、ストレッチボールを使ってマッサージすると
少しマシになるんだ、とも言っていた。
痩せて坐骨が出てしまってるからかなあ、とか筋が痛むのかなあ、なんて会話をした。

9/9、水曜日

この日は頭痛はそれほどひどくなかったよう。

達筆でメモ魔だった父が恵庭、と書けなくなった。
確かに何かおかしい。

でも脳に異常はないのだ。
PET検査を受けにいったのはちょうど1週間前。
父は一人で電車に乗り、一人で受けて一人で帰ってきたのに。
たった1週間でスマホを開けなくなり、字が書けなくなった。

軽いせん妄(*1 のような状態が続き、母も疲れが出てきていたように記憶している。

9/10(木曜)の朝、PETの検査結果を聞くためにT病院へ.

診察で胃がんの転移、腹膜播種、他の臓器には転移なし、と言われる。

余命を伸ばすための抗がん剤治療を検討しましょうということに
なったそうだが、診察には同行していないので不明。

この時父が抗がん剤はどのくらい続けるのか、と質問したのに対してDrから
『まあ…死ぬまでですね』と言われたらしく、
それが大層ショックだったようだとのちに母から聞く。

おそらく転移だろうと夫から父に伝えてはいたが、
それほど大きなことだとは考えていたなかったのだろう。
PET検査の前に父は筋トレグッズや歩くためのストックを購入していた。

”死ぬまで”
おそらく父の中で初めて『死ぬのか』と思ったのではないだろうか。
勝手な想像だけれど。

後から調べて初めて知ったが、胃がんの再発の場合
予後は1年程度のことが多いそう。
意外に怖いがんだった。初期で見つかる方が多いイメージだったので
舐めていた。

最後の散歩

抗がん剤は死ぬまで、と父が言われたその日。
私はバランスボールインストラクター養成講座の第4期の初日を迎えていた。

帰宅して両親の元へ行くと少し疲れたような様子の母が報告をしてくれた。
父は
『まあ、なるようにしかならん。』
と静かに言った。

これから散歩でも行って体力つけないとね、と言ってたところだよと母に言われて
私はなんとなく

「じゃあ私と行こうよ。」

と父と散歩に行くことにした。
ほんの少し、確かにほんの少し呆けたようになった父は
抗がん剤に備えて体力づくりをするつもりだったらしい、
買ったばかりのストックをつけて行った。

手にかける紐がうまくかけられずに、私がかけてやる。
こんな小さなことができない。一つ一つの受け答えに時間がかかる。

でもこのような状態も、抗がん剤が進んで
時間が経てばまた良くなるんだろう、と勝手に思っていた。


最後になった父との散歩。このあと2度と歩けなくなるなんて
想像もできなかった。

家の近くを父と歩く。
思いのほかどんどん進んでいく。
早足で力強かった。

ああ、この感じなら大丈夫なんじゃないのか。
こんなに歩けるんだ。
時々変なタイミング(車が見えていないかのように)で道路を渡ろうとするけど
これもきっと治療したら頭も元に戻るに違いない。

そんなふうに思いながらも
ちゃんとまともに話せるのか心配で

『今年はコロナで大変だから来年は関西に行こうね』
『〇〇(妹)の新居にまだ行ってないし』
『医者つきの豪華旅行じゃん』

だのなんだのと無駄に話しかける。

妹が関西に家を建てたのは去年で、今年の春に行こうと思っていたのに
コロナ騒ぎで行くことができなかった。
来年は抗がん剤治療中とはいえ、旅行くらい行けるだろう。
来年はオリンピックも見られるかもしれない。

まだ、今すぐ死ぬと決まったわけじゃないのだ。

不安な気持ちはもちろんあれど、未来はそう暗くないんじゃないか。
そんなふうに半分願うように話し続け、歩き続けた。

父は
『ブラジル協会の会計だけがちょっと心残りなんだよなー』
なんて言いながらかなりの距離を歩いた。

新しいパン屋さんで食パンを買い、マンションに戻ってきたが
せっかくなんで長男がサッカーやってる時間だしもう少し歩いて見にいこうよ、
と父を誘うと

『ええええー』
と言いつつ、付き合ってくれるという。

歩いてすぐの学校の校庭、長男が大勢の中でサッカーをやっている。
こちらに気づかない。

しばし眺めていたが長男は気づかず、
『そろそろ帰ろうか』と声をかけると急に父は

『はるたーーーーーーーーーーーー!』
とおそらくは父が出せる精一杯の大声(とは言え、かすれ声)で
長男の名前を呼んだ。

長男はやっぱり気づかず、気づかないねえ、なんて言いながら夕焼けの中
二人でまたゆっくり自宅に戻った。

これが父の最後の散歩であり、
そして私と父の最後のまともな会話だった。

(*1 せん妄

せん妄は、突然発生して変動する精神機能の障害で、通常は回復可能。
注意力および思考力の低下、見当識障害、覚醒(意識)レベルの変動を特徴とする。
多くの病気、薬剤、毒物などが、せん妄の原因となる。
せん妄は通常、原因になっている異常を迅速に処置または治療することで治癒する

せん妄という用語は、病名ではなく、異常な精神状態を指すものであり、
医学用語としての具体的な定義はあるものの、あらゆる種類の錯乱状態を総称する言葉として使用されることもしばしばある。
せん妄と認知症は同時に発生することもありますが、この2つはまったく別のもの。

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