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父の死 〜自宅での看取りとそれに付随した徒然①

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2020年10月8日午前2時、父が死んだ。
死因は胃癌、家族で自宅で看取った。

享年72歳。
昔は人生50年、などと言っていた時代もあったようだが
現代の日本人男性の平均寿命が81歳だということだから
父はずいぶんと早くこの世を去ってしまったことになる。

この文章を書き終える頃に四十九日を迎えるだろう。
バタバタと日々を過ごすうちに父と過ごしたあの濃密な時間は
記憶から薄れていく。

世間的な一つの節目のその日までに
自宅で父を看取ったことを、そして
看取るまでのその間に奇跡なのかと思うようなこともあり
その経緯や思ったことをただ、記録として書いてみることにした。

そして自宅で看取るかどうか悩む方に
一つの例として見ていただけたらと思う。

これは本当に個人的な覚書で、他の方に当てはまらないこともたくさんあるだろうし
娘から見た両親の姿なので本当のところは違ったり、
自慢かよ!と思われるようなこともあるかもしれないので
読んでいただく方にはあらかじめご了承いただければ幸いであります。

父のこと

父は8人きょうだいの末っ子で、一番上の兄とは20歳離れており
ものすごいことに、そのきょうだい達がただの一人でさえも他界していなかったので
父も同じくらい長生きをするもんだと勝手に思い込んでいた。

貧しい農家生まれの末っ子。
2歳の時に親戚の家に法事で連れられて行ったらそのまま
親戚の子供のない家に養子に出されその家の長男になったという
現代からはびっくり仰天の経歴である。

農家の後継として養子になったのに
農業科の教員の道を選び高校の教員を定年まで務めた。
定年退職時の役職は校長。

酒が好きで寝る寸前まで飲み
酒癖がほんの少し悪く、味の濃いものや揚げ物が大好きだった。

やや過激派な妻と、二人の娘をもうけ
定年後は趣味と言うには本格的すぎる畑での農作業をする傍ら
日本ブラジル協会の事務を務めていた。

愛称は 父 または ジジ。
余談だけれど、私は両親のことを 父(ちち)、母(はは)、と呼ぶ。

まあ、いわゆる普通の男性、それが私の父だった。
(普通の男性よりちょっといい人だったかも。子供の欲目か。小声。)

父の病気の話の前に

さて、父の病気発覚よりも時間は10数年ほど遡る。
関係ないようで、関係あるので書いておく。

父の妻、つまり私の母は娘二人からは
「過激派の母」
と呼ばれるようなちょっとやることが過激な人なのだが
とあるNGOスタッフとなっていた。

そのNGOではいく人かのDr(ここでは医師のこと)も所属しており、
父も娘の私たちもよく変わったDrの話を聞かされていた。

海外でボランティアをするDr、経歴の変わったDr、
世の中いろんな人生があるもんだなあなどと笑って聞いていた
ある日、私の恋人(後に夫となる)が突如

『仕事をやめて大学に入り直してDrの道に進みたい』

といいだした。

当時私は28歳になるところで彼との交際期間もそこそこ長く、
もう結婚や出産の2文字あたりがチラついていたし、

そんな不確かな未来なんてアリ!?
何年かかっても受かるかどうかもわからないし!!
って言うか私の結婚は?妊娠出産は??
親的にどうなのよ!?

とハラハラし頭の片隅では自分の両親が止めるのではないかと
うっすら期待していたのだが、それを聞いた過激派の母は力強く彼に言った。

『いいじゃん!やんなさい!!』
『うちのNGOにもそういう人いっぱいいるから!!』

ちなみにそれを聞いた父は漫画のように
食べていたヨーグルトのスプーンを落とした。

かくして、その母の言葉に勢いづいたかどうかはわからないが
彼は仕事をやめ、東京の予備校にバイトしながら通い見事
医学部編入試験に合格した。
この話もいろいろとすごいのだが、知りたい方はまたいつか。

彼とは合格後に結婚し、彼の学生時代に長男と娘が生まれた。
不安定な経済状況と産後のダメージの大きい心身に起因したであろう
産後クライシスはこのHPにも書いてある通りであります。

胃がん発覚

定年してからは逆流性食道炎と高血圧などまあ、おおよそ
太っている中高年男性が大体持っているような病気で
服薬する程度で大きな病気もしていなかった父だが、
2018年の正月明けだったか、

「ちょっと胃の調子が悪い」

と言い出した。
行こうと思っていたが最近検診していなかったと言うので
今すぐ胃カメラしてきたほうがよい、と私が以前仕事でお世話になった
クリニックを紹介して胃カメラ検査を実施したところ、初期の胃がんではないかとのこと。

手術など含め、どこの病院にかかるか決めてくれとのことだったので
無事Drとなった(万歳!)夫がいろいろと調べてくれて
ここが良いのではと言うT病院を紹介していただき受診。

初期ではあるが、がんの発生場所が悪く全摘出となった。
幸いリンパへの転移はなく、抗癌剤の使用はなし。
退院後は経過観察のための定期受診をここから2年半ほど続けることとなる。

胃の全摘手術、言葉としてはよく聞くので大したことではないのかと
家族全員タカを括っていたが、これがなかなか大変なことだった。

よく考えたら当然なのだが、元々あるはずの臓器がないって大変なことなのだと
父を見て思い知らされた。

美味しいものを食べて飲むのが好きだった父は
味覚が変わり、美味しいと感じることが減った。

刺激物や味の濃いものは下痢をする。
突然の低血糖症状でめまいがする。
どんどん体重は落ち、私よりも軽くなった。

体力が落ち、手術後はよく家で横になり寝ていることも多くなった。
それでも胃を全摘して10年以上も元気に運動もしている人がたくさんいることが
みんなの希望だったし、いつか父も新しい体に慣れてそんなふうに過ごすのだと
思って疑わなかった。

胃がんの再発

2020年、今年も父は変わらず畑を作り、
春には家族で芋を植え、夏にはブルーベリーを収穫した。
ピーマンがどんどんできた。

時々家にいる父は横になって寝ていたが、老人だしそんなものだろうと
気に留めていなかった。

コロナで外出は少なくしていたものの、私たち家族は夫の実家に帰省し
父母は道北へ出かける、いつも通りの夏だった。

夏休みが終わって少し経って、母から
「ジジの皮膚に何かができてるから見て欲しい」
と連絡が入る。

夫(皮膚科医になった)が行ってくれたが、所見だとはっきりわからないから
生検をしようということになり夫の病院で検査することになったが、
その話を聞いたときでさえ、何も思わなかった。

胃癌は初期だと聞いていたし、まさか再発だなんて。
(夫はその時点で危ないかもと思っていたらしいが私には言っていなかった)

検査の数日後、検査結果のことを気にすら留めていなかった私に
帰宅した夫がちょっと別室に来て、話があるから、と声をかけてきた。

『父の検査結果が良くない。癌だった。』
『T病院に紹介書くから、一応そういうことで。』
『でもそんな今すぐどうこうってことじゃないと思うよ』
『長い闘いになるんじゃないかな。』

一瞬何を言われたのかわからなかった。
日付は定かではないが、8月の下旬のことだったと思う。

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