目次
ずっと違和感があった
寄付をしたことがあるひとってどのくらいいるんだろうか。
街角で募金くらいならしているだろうか。
赤い羽募金、盲導犬の募金、世間には募金がわりとある。
私はといえば、「人生に数回程度」
覚えているものは東日本大震災、九州の地震、発展途上国での保健活動を
行うNGOくらいか。
日常的には街中でビッグイシューを見つけたら買う、というのは
自分で決めていること。(これは寄付ではないけど)
***
私の今の仕事的に、SNSは当たり前のように存在していて
その煌びやかさと言ったら本当にすごい
『ホテルランチしてきました』
『学びの時間(キラキラ)』
そんな言葉とともにあげられる美しい空間や美味しそうな食べ物
キラキラしている人たち
もちろんそれが悪いとかではなくて
美しいものやきらきらしているものは私だって
見るのは好きだし、憧れも持つ
ただ何となく、心の中にざらっとしたものが残るのだ
それはどうしても社会の中に”そうでないひと”がいる事実
そういうひとたちを無視して社会が進んでいってしまっているのではという
そこはかとない罪悪感
「10代の貧困」
NHKのニュースでいつも入ってくるこの話題
眉をひそめつつ何もしない自分
キラキラのSNS
”月商〇〇円”
”ホテルのロビー”
なんとなく違和感がありつつも
眺め過ごす自分にすこしうんざりしていたのかもしれない
今回寄付しようときっかけ
ある日、大学の先輩のFaceBookでこんな記事がシェアされていた。
この記事を書いたのは、今井紀明さんという方で現在認定NPO法人D×P(ディーピー)の理事長をされている。
今井さんは高校生のとき、イラクの子どもたちのために医療支援NGOを設立。
その活動のために当時紛争地域だったイラクへ渡航した際、現地の武装勢力に人質として拘束された。
当時のニュースはかなり大きなものだったし、覚えている方も多くいるだろう。
直接の知り合いでは全くなかったけれど彼は妹と同じ高校だったし(学年はだいぶん違うが)、私の母自身もNGOをしているので当時のバッシングに家族で”今井くん(と勝手に”くん”呼ばわりしていました)大丈夫だろうか”と話していたのをよく覚えている。
その彼が書いた記事。
もちろんその内容もだけれども
あれからも継続して社会のことを考え続け行動をしてきたその姿を知ってただ感動したのだ。
(感動というよりももっとなんというか、うまく言えない。この語彙力の無さよ!!くやしい。)
今井さんの
”寄付は面白いものです。人生を豊かにできるものだと思っています”
”寄付は外に向けたもののようだけど、内なるものなのだと思っています。”
この言葉に本当にそうなのだろうか、今年は寄付をしてみようかな、と考えるようになったのでした。
世の中にあるけど見ていないもの
記事を読んで数日してクリスマスイブ、夫に
「今日はクリスマスなので寄付をしたいと思います」
と上にも載せたリンクをLINEで送った。
一応、我が家の家計から出すものでもあるし。
その後、子供たちにも一応伝えてみた。
『今日母ちゃんはクリスマスなので寄付をしてきます』
今回の寄付先と、寄付しようと思う理由について話をしてみたところ長男からこんな返事が来たのだ。
「でもさあ母ちゃん、俺の周りにそんなヤツいないけどね。」
自分の周りに食べることに困ってるような人はいない。
親がお金がないようなひとはいない。
もちろん長男の見ている、知っている世界はそうなんだろう。
この返事は心に鈍く残った。
ちょうどクリスマスイブは夫が当直明けで早く帰宅したので一緒にランチをとることにして、寄付について話そうということになった。
その時に夫から提案があったものが”ふるさと納税でNPOに寄付をする”というもの。
”ガバメントクラウドファウンディング”というそうで、支援したいプロジェクトを選べるのだとか。
(夫のこういう、私の話をきちんと聞いて調べてくれるところは本当に素敵だし尊敬する)
そして、
知って、興味を持って調べればいろんなアプローチがある。
結局私はニュースに眉を顰めるだけで今まで何も見てなんてこなかったんだと
軽くショックを受けた。
長男の、『俺の周りにはそんなひといない』
と
私の知っているような気がしているのに、実は何も見えていない
なんだか近いように感じた。
寄付は自分をも変える か
夫と話もして、今年はこのNPO法人D×P(ディーピー)に
クリスマスとして寄付をすることにした&微額だが月サポーターになった。
>>>年末年始、困窮する若者最大250名に8万円の現金給付を実施。先行して150名の給付を決定、残り100名分の寄付を募ります。
(リンクはこちら)
それに追加して、ふるさと納税で北海道も含めていくつかの自治体に主に子供の貧困に関するものに寄付をした。
本当は北海道がメインだと良かったけれども(なぜか身近を選びたくなる、この気持ちもなんだろう。)
そこから全国へのモデルケースになればよりいいのだしな、と思いつつ。
ちなみにふるさと納税も先のNPOもどちらも多少制度の違いはあれど、寄附金控除が受けられる。
寄付って素晴らしい、と言ったって我が家だって子供が3人いて無限に資金があるわけでもない。
ので、結構真剣に夫とPCと睨めっこで選んだのだ。
その時間はなかなかにいいものだったし、なにか満たされたクリスマスの夜になったのは間違いない。
寄付が自分を変えるか、と聞かれれば確かに、なにか、はっきりとは言えないけれどなにかが変わったと思う。
もっとナチュラルに、寄付というものを自分の生活に入れてみてもいいんじゃないかと思ったのだ。
できる範囲で、この社会の一員として、おとなとして。
今回はクリスマスにかこつけたけど、クリスマスじゃなくてもね。
もっと寄付したことをみんな言えばいい
日本人の気質として、何か慈善的なことをした時に敢えて公言しないというところがあるような気がする。
”わざわざいうことじゃない”と寄付したことを皆に知らせるのを恥ずかしいことのように思っているというか。
もしかしたら冒頭のキラキラしているように見えるひとたちだって、
キラキラしながらも寄付とかしてるのかもしれない。
そういうひとたちが寄付してますとかいうと、なぜか”売名行為”なんて言われがちな不思議な日本。
私だって、この文章を書いている今でさえ、なんとなく寄付をしたことを(しかも大した金額でもないのに)
こうしてブログにしてまで知らせる必要があるのだろうかとすら思ってためらっているのだけれども。
でもみんなが『寄付したよ』って公言したら、そういうのがいつかもっと普通になるのかもしれない。
いつか子供たちにもうまく伝えられますように。
メリークリスマス🎄