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自撮りは苦手です。コツもわかりません。
皆さん自撮り、お好きですか。もしくはお得意ですか。
私ははっきりいうと、苦手な部類です。
インストラクターになって結構なハードルといってもいい。
(レッスンの集合写真とかも苦手)
プライベートのFacebookの方なんて、自撮りなんてほぼない。
なので、先日私のインストラクターのページを見た旧友からは
「あの、さ、山田(私の旧姓は山田)、
なんか最近変わったことやってる?」
とか聞かれてしまったりするわけですね。
変わったことというか、インストラクターなんだけどさ。。。ごにょごにょ。
と返事した時の相手の返事がまたふるっておりました。
「俺見た瞬間なんか動転してページ消しちゃったよ!!」
そんなにですか。。。
写真に無理が出てましたかね。笑
しかしなんで自撮りが苦手なんだろうと考えてみると…
自撮りが苦手な理由を考えてみた
1.カメラに向かってポーズを決めている自分が恥ずかしい
これがものすごく大きい。
でも、誰に対して恥ずかしいんでしょうかね。
ポーズ決めてようがいいじゃないか、と思うけど恥ずかしい。
2.何のためにやってんだろ感がすごい
自撮りの意味がちょっとわからないというのもありますね
3.普通におばさんなので自撮りが辛い
いまだにiphone6sの私ですが、もうカメラの性能がいいので
シミもシワもすごくてつらい。普通に見るに堪えない。
アプリ使えばいいじゃんって話ですが、アプリで加工している自分も
あざとくて辛くなる(だから誰に)
でもこれって全部自意識の問題ですかね。
自撮りが苦手とか言ってられない状況?
しかしですよ。
私は今インストラクターなわけで言うなれば
「自分が商品」ってやつですね。
できれば私が客ならば顔ぐらいわかってるインストラクターのところに
行きたい。
皆さんどうでしょうか。
その辺の感覚っていうのはちょっと人によると思いますが
顔が全くわからないインストラクターのところに初めましてでいけますかね。
できれば私は顔がわかった方がいい。
自意識の壁を超えろ!
自分が商品になることに慣れなくては!!とか思っていたところに
友人からお誘いがあり、この度自撮り100日っていうのをチャレンジしてみたのでした。
「自撮りを100日送り合う」を始めたきっかけ
事の起こりは友人でもあり医療ライターでもある尚恵ちゃんがFBにアップしていた
一つの記事。
「100日間自撮りを送り合うとどうなるか」
私も大好きなデイリーポータルZ の記事でございます。
これを読んで
「やってみたーい」となにも考えずにコメントしたところ
仕事の早い尚恵ちゃんより
トップ画像のLINEグループが作られて招待されたのでした。
「送り合おうぜ、自撮りを。」
というメッセージとともにやってきた尚恵ちゃんの自撮り写真。
ここがスタート。
9月24日。
始めることに同意したのは、もちろん上に書いたような苦手意識の克服も
あったのだけど、この時すでに私の父が余命短いことがわかっていたので
この期間を通して自分がどうなるのかにも興味があったのも大きい。
簡単に決めたルールは以下。
・それぞれのアルバムにUPしていく
・コメントはなくてもOK(ただ写真のみでも)
・アプリの使用もご自由に
始めた時は100日か、もしかしたらお互い飽きちゃってやめるかもしれないし
それはそれだなと非常に軽い気持ちだったことを覚えております。
自撮り100日生活スタート
初日の私。
初日とか言いつつ、いきなり初日から忘れて次の日に
慌てて送ったのがこれ。
洗濯物を畳んでて突如思い出して撮った。
すっぴんだしなんかもうほんとひどい。
一方尚恵ちゃんの方の初日の写真もこんなこと言ったらアレだが
あまりよろしくないというか
恥ずかしい、とか、なにやってんだろ感があふれる写真なのですが
お見せできないのが残念。
(なぜならこのブログは勝手に書いてるから)
自撮りが苦手でも日々は続く
その後も自撮りは続く。
ちょうど季節は秋から冬へ。
その間に私は父を自宅で看取り、葬式をし、
子供の七五三があった。
尚恵ちゃんは誰それにインタビューをしたとか
私にはわからないあたらしい世界の話をしてくれた。
コメントはしなくてもいい、という予定だったけれど
なんだかんだと写真の説明やら、その日にあったことなどの報告なんかも
お互いにLINEで記載していくのがデフォルトになり
コメントのない日はほぼなかったように思う。
自撮りを送り合うことで苦手意識は克服されたのか
かくして、2021年1月2日に自撮りを100日送り合う、は終了したのでした。
さて、当初の目的だった苦手意識は克服されたのかというと
尚恵ちゃんはどうやら抵抗感がなくなったということでその成果を
こちらでお見せしましょう。
この100日でバランスボールもやってるので
ずいぶん痩せたし、アプリも使いこなしていてコツも掴んでるようで
かなりいい感じ。盛れてるけどちゃんと尚恵ちゃんだ。
私はといえば実はあまり変わっていなくて
アプリも途中使ってみたけどやっぱりアプリの顔の自分が
どうにも許せなくて(だから誰にだよ)
後半はアプリを使わない写真が多かったりした。
ただ自撮りに対する苦手感はほんのすこーし減った、かも、しれない。
この効果はきっと今後の私のインスタに現れてくることでしょう。
(多分な)
自撮りを送り合う、のススメ〜苦手意識やコツを知るだけじゃない
当初の目的の苦手意識を克服する、とか、コツを見つける、とかは
まああんまり自分的には進歩が非常に少なかったのだけれど、一つありがたかったことがある
たわいもないことや毎日のちょっとしたことをただ言える相手がいた期間、
というもの。
最初の方に書いたように、ちょうどこの
「自撮りを送り合う100日」
が始まった時点で100日の間に必ず ”父の死” と ”父が死んだ後の世界” が待っていた。
特にそれを尚恵ちゃんに言っていたかどうか覚えていないのだけれど。
動かない父をただ病院で見ているとき、
「今日も父の病院で泊まり」とか本当にたわいもないことを
聞いてくれる人がいる。
死亡届を出したとか
葬式だったとか
側から見たら親が死んだのに自撮りしてるとか頭大丈夫か的な
印象かもしれないけれど。
心が潰れそうな時にただ、呟くだけで聞いてもらえた安心感
こういうのはTwitterとかじゃなくて友達に聞いて欲しい
けど敢えて連絡するわけにもいかないようなことを
この自撮り100日にかこつけてただ報告できたのは
とても私にとって救いになった
父の死だけじゃなくて
本当にたわいもないこと、ご飯作りめんどくさいとか
子供の習い事に付き添ってるとか
本当にちょっとしたこと
毎日の生活で仕事に子育てに頑張ってる
でもいちいち人に言うことでもないし
でもちょっと見て欲しいし褒めて欲しい
そんな”ちょっとしたこと”を
写真と一緒にほんの少しお互い褒め合う
そんなことが澱のように溜まってる
気持ちの疲れを癒してくれたような気がする。
父がいなくてやっぱり寂しいとか
母が心配だとか
それでも毎日は進んでいくんだとか
わかっちゃいたけど当たり前のこと
わざわざメールしてまでいうことでもないけど
写真のついでにちょっと言えちゃう、この感じ。
100日という区切りも良かったと思う。
100日が過ぎて今の所自撮りをお互いに送っていないし
近況報告もないんだけど。
ちょっぴりさみしいなと思いつつきっとこれでいいのでしょう。
ということで苦手を克服するとか、コツを掴む以外でも
気持ち的な面でも結構メリットありますんで
ご興味ある方はぜひやってみたらいかがでしょうか。
ちなみに100日撮ってみた感じでいうと
私は圧倒的に車の中が多いのと、同じ時期はウェアか同じ服しか着ていなかった。
あと、このピアスしかしてない。
(多分もう5年以上これ。ここの便利すぎて笑)
もう少し外を歩いて、もう少しおしゃれしたいと思います。
以上。
最新の自撮りはこちら。うん、少しは恥ずかしくなくなったぞ。